私が高橋まつりさんの母親に嫌悪感を抱く理由。
私ほんの数年前躁鬱病と診断されたんです。
私の場合は地元採用から事情があり…いきなり県外に移動になったんです。普通なら退職勧告な状況だったのですが…会社が家を借りてくれて引っ越ししました。
もともと一人暮らしだったので…軽い気持ちで引っ越したのですが。地元を離れたことのない私にとってはとても辛くて…。
ただ周りの人が優しかったので退職も選べず…勇気もなくて。
気づけば、世界で一番不幸な気分になって。気づけばブラックホールに落ちてる感じでした。
ずっと闇にいてみんな手を指しの出てくれいるのになかなかつかめないそんな気分でした。
人によってはたったそんなことでって思われると思います。たったそんなことでって人はブラックホールに落ちるんです。
一年で10キロ痩せて…あっというまの30キロ代に。
誰が見てもおかしい状況です。
1年過ぎた頃に職場の人に病院に行くことを勧められました。眠れなかったので…睡眠薬をもらいに。
そこからどんどん悪化して…大変でした。
仕事は行かなくてはと思い必死で行ってました。
なぜか外に出るのが怖くて…。
スーパーに行くのも恐怖で…動悸とパニックになりそうになりながら買い物してました。
母親もおかしいと気づいたようで…半年に一回くらい実家に帰省していたんですけど。
そこから恐怖の始まりです。
毎日電話がかかってきて…毎日何時間も発狂してまくしたてられる日々です。
内容は体調を心配していたんですけど。
毎日電話がかかってきては…何時間もそんな日々が続きました。
私の話は聞いてもらえず、何かを言われる日々。
電話に出ないと何十回もかかってきて…。
実は内容はよく覚えてないんです…。
半年以上は電話に出れませんでした。
ディスプレイに表示されると過呼吸になってました。
最後は付き合っていた元旦那に電話をしてよくわからないことを言っていたそうです。日本語にもなっていなかったようで…。
元旦那はこれはまずいと感じたとあとで言ってました。
私も朦朧としながら電話したのをおぼえています。
母親は自分のお腹から出てきて一心同体だと思います。
だから自分を受け止めてほしいというのは…。
うちの母親は悪い人ではありませんがちょっと毒親なんです。
そこからマックスに悪い時期に突入して…毎日死ぬことを考えてました。
毎日歩道橋から車に飛び込むことを考えてました。
車のランプがきれいで…そこに行きたくなります。
そこに行けば楽になる。
この苦しみから開放される。
人が殺されたニュースを見ては私死にたいからなんで私を刺してくれないんだろうと思って…。
練炭自殺の仕方を調べたり…。
でもチキンな私は自殺しきれませんでした。
普通の状態に戻れた今はそんな風にはおもわなくなりました。やっぱ病気だったんですね〜。
罪のない人が殺されれば悲しいですけどね。
私は周りのサポートと心配のお陰で死なずにすみました。
でも何かの拍子に死んでいてもおかしくなかったと思います。
感謝しても感謝しきれない。そして最悪の黒歴史です。
私は何年もたった今でもあの時のことの母が許せないんです。多分死ぬまで許せないんです。
だから高橋まつりさんの母親も嫌悪感を抱いてしまうんです。
親は子供のことを一番に考えるこれは本当です。
でも助けを求めたときはその手を振り払わないでほしい。
最後の肩を押したのは…手を振り切ったのは母だから。
きっと最後の望みをかけてお母さんに電話して…振り払われた手。
母親はきっと思ったんです。
ここを頑張れれば安定した生活が。
まつりさんの最後は…もうダメだ。
何かがキレてしまったんです。
もう頑張れない。
頑張れない。
頑張れない。
助けて…。
楽になりたい。